石島小夏のカラフルノート

カラフルノートで“思考”を可視化して、自分と向き合う&相手に伝える…!

泣ける場所ありますか…?

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世の中には「泣き虫な自分」に悩む人がいる。

そして、「泣けない自分」に悩む人もいる。

 

 

何を隠そう泣き虫な私。

あ、隠れてませんかね…苦笑

 

なんか「泣き虫」って心が弱い気がして嫌だったんです。

そんな自分、見せたくなかった。

「泣く」という行為の中に、深い意味を持たせてしまっていたんです。

「涙が出るほどに傷を負った」みたいな感じ。

 

娘ちゃんを見ていて「泣く」って特に深い意味がなかったりするんだなぁ、って気付きました。

「泣いたらすっきりする」、それだけだったりする。

だから、別に泣いてもいいんだなーって。

 

今は娘ちゃんが泣いていても気にならないし、自分の涙にも寛容になりました◎

時には二人で泣きじゃくったりして…、すると大抵、娘ちゃんが先に泣き止んで「よしよし」してくれて、二人で「ありがとうー!スッキリしたねぇ」なんて言い合って笑顔になったりするのです。

泣いた後の、笑顔は格別!!

 

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私の場合、「泣き虫こなっちゃん」との葛藤は長くて、もう物心ついた頃からですかね…。

 

 4歳の頃、目の横を数針縫うくらいの怪我を負ったことがあります。

玄関で派手に転んで、段差の角のところに思いっきり頭をぶつけたのです。

血がドロドロ出て、ギャーギャー泣きました

 

いや、4歳児ですよ?

泣いてもいいですよね????

 

でも、うちの父から出た言葉は、

 

「泣いても治んないだから、泣くんじゃない!!」

 

もう、お父さんが怖すぎて泣くの止めましたよ、私。。。

 

 

ぶつけた時の痛みとか、まーったく覚えていませんが、父の強烈な一言だけは今でも鮮明に覚えています。

というか、幼稚園に入る前の記憶なんて、弟が生まれた日のことと、この言葉くらいしかありません…!!

 

 

だから、映画とかで感動して「泣く」のはいいけど、痛みとか苦しみを感じて「泣く」のは、「泣いても治んないんだからダメ!!」って思っていました。

「ダメ」って思っていたから、余計に泣き虫になっちゃったんですけどねー苦笑

外で、苦し涙は見せないように気を付けていました。

(小学校とかで上映される感動モノの映画ではボロボロ泣きじゃくってましたけど!!)

 

 

そんな私が外で泣けるようになったのは中学生の時。

音感もリズム感もないくせに、ピアノを習っているからという理由で合唱コンクールの指揮者になってしまったのです。

でもなかなか上手にできなくて落ち込んでいた時に、その苦しみに気づいてくれたクラスメイトたちがいて、ついつい涙を流してしまいました。

 

その時、「あ、外で泣いてもいいんだなー」って思えたのです。

「泣き虫こなっちゃん」解禁!!笑

以来、外でも泣けるようになりました。

 

 

けど、一度だけ「泣けなくなったこと」があります。

学生時代、なんだか感情がどこかへ行ってしまってどうしていいかわからなくなってしまった…。

いつもは何かしら、できることを小さく始めて、ちょっとでも何かを生み出せればなんとなーく気持ちが落ち着いていくのに、何をやってもダメ。

泣いてスッキリしたいのに、それもできない。

 

その時は、見かねた知人が荒療治(あんまりよく覚えていないけど、ダメな自分に思いっきり向き合わせてくれた気がします)で、涙を引き出してくれて、わーわー泣くことができました。

「あ、涙って大切なものなんだなー」ってその時に気付きました。

 

 

でもね、大人になってからは泣くのもはばかれますよね…。

社会人になったばかりの頃は、仕事中に悔し涙を流すこともしばしばだった私。

職場で「女が泣く」っていうのは、これまたよろしくない。

男性上司が「対応に困る」と言っているのを聞き、またしても「泣き虫」を克服せねば!!と焦って、焦って空回り。。。

 

 娘ちゃんが生まれてようやく、しっかりと「自分の涙」が受け止められるようになりました。

 そして、ずーっと私の泣き場所で居てくれた夫くんと娘ちゃん、そして友人たちに感謝◎

これからもよろしくね!!

 

 

みなさんには泣ける場所、ありますか??