熊本地震の爪痕
娘ちゃん2歳7ヶ月。
わー!くまもん だー!!
でんしゃ のって ひこうき のって くまもと きたよー
すっかり、くまもんに夢中です。
さて、阿蘇くまもと空港に降り立った私たち。
産後ドゥーラ仲間がお迎えに来てくださり、地震の被害が大きかった益城方面へ向かいました。
「今はもうさら地になっちゃっているんですけどね」
地震からもうすぐ1年、そこには空虚感が漂っていました。
あちらこちらにショベルカーやダンプカーがあり、でもそこに家はもうない。
その様を拝見したとき、私は“ぽかーん”としていました。
「さら地になっている」という本当の意味が掴みきれずにいたのです。
益城の町の中を通り、被害の爪痕が残る津森神社へお参り。
訪れた方のために解説がされていました。
修復されている部分もあれば、当時のまま残っている部分もありました。
「べんちさん たおれちゃったのー?よしよし。」と、娘ちゃんがベンチをいたわっていました。
そうだね、ずっと横になっていたら痛いよねぇ…。
お参りの後は、益城テクノ仮設団地の中にある“笑”店街へ。
美味しいと噂の益城プリンを頂きました!
前日には杉良太郎さんや香西かおりさんなどがいらっしゃり、コンサートをされていたそうです。
いろんなイベントがあるみたいで、お店の壁が賑やかでした!
あぁ、ここで1年近く暮らしている方々がいらっしゃるんだなぁ。
仮設住宅に隣接する住宅メーカーさんのモデルハウスを見たとき、「さら地」の意味が輪郭を帯びてきました。
あぁ、「あそこにこれだけの家があったんだ」と。
それから、熊本城は向かいました。
運良く、おもてなし武将隊の演舞に巡り合い、「江戸からはるばる参ったのか」と歓迎して頂きました。
お昼ご飯を頂いた後は、お城の周りをお散歩。
メディアで何度も目にしていた姿。
この崩れた様を見たときに、「さら地」の意味がハッキリとした形になりました。
あの場にあったはずの家は、「こうして崩れて無くなってしまたのだ」と。
別のドゥーラ仲間に益城方面に行ったと伝えたら、
「益城行ったのー?なんもなかったでしょ。益城のお母さんがなんもなくなっちゃったーって言ってたよ」
あぁ、やっぱりそうなんですよね。
なんもなくなっちゃったんですね。
私は外からお邪魔して、元の風景を知らないから、「さら地」の意味が形になるまで1日かかったけど、元の姿を知っている方々はどんなに苦しいのだろう…。
東日本大震災の時、見慣れた街並みがブルーシートをかぶり、ところどころ崩れているだけで辛かった私には想像もできません。
ふぅ…、でもやっぱり来てよかったです。
言葉にしきれないものをたくさん感じて、苦しくもなりました。
でも、横に熊本の友人が居て、目の前には笑顔の娘ちゃんが居てくれて、とても心強かったです。
ただ、「目にする」しかできなかったけど、暖かく迎えてくださった熊本の皆様に感謝です。
そして、1日も早い復興を心より願うと共に、私は私にできることを、こつこつやろうと思いました。