自分が生きる場所で人事を尽くす
持っている人間のおごり
持っていない人間のひがみ
その場で死なない人間は何も言ったらいけない
皆川公美子さん主催の仏教ゼミ第3回目。
奈良の薬師寺のお坊さん、松久保さんのお話がずどーんっと心に響きました。
松久保さんはインドに2年間お住まいになって、その間、物乞いをされる方々に対して「そんな事はしちゃいけない」と怒っていたそうです。
彼等にとっては、持たざる者が持つ者から貰うのは何も抵抗がない。
仏教の教えの中では、目の前の方に席を譲ったら、そのお陰で心が晴れたことを譲った人の方がする、というものがあるそうです。
善行をする機会をくれた相手に感謝する。
この道理で行けば、物乞いをするのも、施しという善行をする機会をくれていると言えるかもしれない。
でも、何の努力もせずに、悪びれもせず、タダ貰うだけでいいんなんて…なんて、納得がいかない。
ちゃんと努力して、積み重ねていってほしいと思ってしまう。
でも、講座の時に松久保さんは、
それは持つ者のおごりだったかも知れない。
その土地で死なない人間は何も言ったらいけない。
自分は自分の生きていく場所に残していったらいい。
と、言ったようなことをおっしゃっていました。
(記憶を元に書いているので、私の中での解釈です。)
仏教で、選ぶ(決める)ということには二つの漢字があるそうです。
簡択
“簡”は迷いがありながらも選ぶこと。
“択”は心から選ぶこと。選び抜いて決めたこと。
この場所で生き抜く…!と選び抜いて選択する。
そうして初めて、何か言うことができるのかも知れません。
仏教は中道“真ん中であること”を目指す。
偏らないことを説いているので、アピール力は弱い。
講義の後に、そんなお話が出てきました。
その人を信じて任せる。
後は、自分の力で解釈して生きていくしかない。
中道であることを択んでも、やはり葛藤はあるのかも知れません。
心の中を丁寧に説明されている仏教、唯識の教え。
五位百法で心の中を駆け巡る100の感情を丁寧に記し、一つずつ紐解いていく。
そして、最後はやっぱり感じるままに動く。
思考を入れずに、ただ感じるまま。
感じるままに描き出すカラフルノートにも、やっぱり仏教の教えが引き継がれている気がします。
人の心をこれでもかって観察した結果が仏教には詰まっている。
私たち一人一人の中に仏教はすでに在るのだろうなぁ。
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