石島小夏のカラフルノート

カラフルノートで“思考”を可視化して、自分と向き合う&相手に伝える…!

【小夏の生い立ち】第1話 陶芸の町で育まれた長女気質 (0-3歳)

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女の子か…。

 

お腹の中にいる娘の性別がわかった時、私は少し落胆しました。

もちろん、性別なんてどうでも良かったし、無事に産まれてくるなら何でも良い!!という気持ちはありました。

それでも、私が長女を産んでしまうのか…と、少し怖かったのです。

 

1984年5月30日。

栃木県益子町で私は生まれました。

新緑の5月、初夏に生まれたので小さい夏で、小夏

 

「おばぁちゃんになっても可愛い名前でしょ。小夏ばぁちゃん」

と、いつだったか母が言ってくれたことを覚えています。

 

この名前から、私はずいぶんと恩恵を受けて今日まで生きております。

だから、娘に名前をつける時は本当に悩みました。

やっぱり自分が受けてきたもの以上のものを得て欲しいですもん!!

そして、逆に「長女か…」と少し落胆したのは、自分が長女気質に苦しむことも多かったからです。

 

東京出身で陶芸をやるために益子で暮らしていた父と、北海道生まれ東京育ちで益子へ嫁いできた母。

そんな二人の長女として私は生まれました。

今の言葉で言うと移住者の娘、ということになりますね。

当然、当時の私にそんな意識は全くありませんでした。

 

益子町は陶芸の町ですが、比較的新しい産地でもあり、陶芸家は県外からいらしている方がとても多いのです。

私の両親たちの友人(私にとっては幼馴染のご両親)も大阪、広島、京都、鹿児島、愛知、山梨、さらにはアメリカ、オーストラリアなどなど関東だけでなくいろんな地域から集まっていらっしゃいました。

私が多種多様な社会を目指す原点は、間違いなく益子町にあります。

 

この頃の記憶はあまりありませんが、両親も陶芸家同士でつるむことが多かったようで、私の遊び相手の多くは陶芸家の子どもたちでした。

余談ですが、中学校の同級生に15人くらい陶芸家の子がいたので、ベビーラッシュだったのでしょうね。

時々、何家族かでワイワイ♪とお出掛けしていたようですが、その辺はあまり記憶にありません。

でも、お出掛け帰りにみんなでお好み焼きを食べたことを強く覚えています。

 

 

…お好み焼き!!

 

我が家では食べたことをなかったので衝撃だったのでしょう。

あと、誰かが持っていたリリアンが欲しかった!羨ましく見ていた気がする…!!

 

 

人は滅多にないことを経験した時、感情が大きく動いた時の記憶が心に残ります。

私の人生で一番古い記憶は弟が生まれる日のこと

父と二人でアルミパックに入っているジュースを飲んだことをしっかりと覚えています。

生協で売っていたこーいうやつ。

JA秋田ふるさと りんごジュース 20パック入り

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当時、2歳半だった私。

やはり、弟が生まれるというのは衝撃的な出来事だったのですね。

そこからの記憶は全くないのです。

が、母の入院中、茨城にある母方の祖母の家に預けられていたそうです。

 

祖父が、

 

「とびらを開けて “おじーちゃん おばーちゃん おはようございます” って起きてきてなぁ。俺の後ろをついて歩いてたんだ。飴玉あげると喜んでなぁ」

 

と、嬉しそうに当時のことを話してくれた事があります。

我ながら微笑ましい話で、なんだか、ほっこり◎

 

でも、祖母の話を聞いた時、少し切ない気持ちが…

 

 「本当にいい子だったよ。お母さんなんて一切言わないし、全く泣かなかった。

お気に入りの毛布にくるまって、自分で自分のことをトントンしながらすーっと寝てねぇ。」

 

 

いい子過ぎる!!

絶対、甘えたかったはず!!

お陰で、未だに夫にトントン寝かしつけてもらうのが大好きですよ、私(笑)

 

 

父に話を聞いてみると、母の妊娠がわかった時から「お姉ちゃんになるんだから」と言い聞かせ続けられたようです。

これ、間に受け体質な私には薬ではなく、毒でした。。。

良くも悪くもこの言葉に縛られて、この後の人生を歩むこととなったのです。

 

 

両親の名誉のために補足しますと、弟が生まれた後、父と母は私のことをめちゃくちゃ構ってくれたそうなのです。

「赤ちゃんだからわからないだろ〜!!」と、弟よりすでに意志がはっきりしている私を優先してくれていたようです。

でもね、赤ちゃんだって意志はあるし、2歳児小夏はその赤ちゃんの構って欲しいという叫びを感じ取っていたと思うのです。

 

これは、0歳と2歳半の時の娘を見て確信していること。

きっと、2歳児小夏は弟の構って欲しいという叫びも両親に満たして欲しくて、でもどう表現していいかわからなかったんだろうなぁ。

で、自分がちゃんとすればいいのだ!!と頑張る方向を目指してしまったようです。

 

さぁ、ここから30年、どうやって人に素直に甘えられるようになっていくのか…?

今日から、じっくり紐解いていきますね。

 

【年末年始ブログ特集“小夏の生い立ち”全11話】

明日以降はこんなお話をしようと思います。

 

第1話 陶芸の町で育まれた長女気質 (0-3歳)←★今日ここ★ 
第2話 涙を堪えて村社会デビュー☆(4-6歳)
第3話 集団社会と保健室(7-9歳)
第4話 ロン毛の父が嫌だった!!(10-12歳)
第5話 アートな幼馴染達と自分を比べて…(13-15歳)
第6話 強く!聡く!美(うるわ)しく!一匹狼女の群れの中で♪(16-18歳)
第7話 好奇心旺盛で寂しがり屋の小娘、家を出る(19-21歳)
第8話 メラメラと青い炎が燃えている…!(22歳-24歳)
第9話 ザ・パートナーシップへの道(25歳-27歳)
第10話 人生に必要なことはみんなお店が教えてくれた(28-30歳)
第11話 私のカラフル魂を娘が呼び覚した!(31-33歳)

 

*タイトルは予告なく変更する場合がございます。

 

 

年明け最初のカラフルノート講座は書き初めです♪

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