【小夏の生い立ち】第7話 好奇心旺盛で寂しがり屋の小娘、家を出る(19-22歳)*後編*
これは、お父さんの子離れの旅だったかも知れない。
2004年、大学2年生の夏、私は父と共にアメリカのアイオワ州で1ヶ月を過ごすことになります。
アイオワで行われた国際陶芸ワークショップ&カンファレンスに出席する父や仲間達と主催者との間の通訳的な役割での渡米。
1ヶ月の旅を終えて日本に帰国する飛行機の中で、父がこう言葉にしました。
家族抜きで父と共に1ヶ月を過ごすのは初めて。
日本を1ヶ月離れたのも初めて。
もちろん、通訳的な役割を担うのも初めて。
3つの“初めて”を同時に行う危険なパターンでした。
当時はそんなこと全く意識していませんでしたけどね。
むしろ、1ヶ月のアメリカでどんなことが待っているのか…??楽しみでなりませんでした。
最初の1週間は、初めてのアメリカにわくわく♪
参加者である陶芸家の皆さんが作品つくりをしている間、私はご飯作りをして過ごしていました。
海外との交流に慣れている作家の皆さんは、英語の日常会話はできなくても、陶芸単語はバッチリ◎
釉薬、青磁、窯、薪…などなど、マニアックな単語がペラペラ出ていらっしゃいます。
私が担っていたのは日々のスケジュール調整や必要なものなどのやりとり。
英語力は決して完璧なものではなく、相手の意図を6-7割伝えられるレベル。
それでも、日本チーム&韓国チーム(日本語ペラペラな人はいたが、英語は苦手だった)の要望を一生懸命、主催者にお伝えしました。
これが死ぬほど疲れるのです…!!
個性の強い陶芸家さんたちは皆様いろんな要望を出されます。
さらには、入国審査で止められた日本人ゲストがいたり、日本への送金がうまくいかなかったり…とてんやわんや><。
日本の著名な大先生は自由人で、主催者を巻き込んであっちへ行ったり、こっちへ行ったり…!
その縦横無尽な動きの間に入って私もあっちこっち動きまわる。
先生の行動は突飛に見えて、丁寧に向き合うと奥が深く、人生観がとても広いので、共に過ごしていた時間はとても面白かったです。
ただ、英語も流暢ではないのに、いろんな事が起きて、キャパオーバーすれすれでした。
そして、そんな自分を「力が足りていない」と責めてもいました。
そう、父の様子を気にかける余裕なんてなかったのです。
当時は、集団の中に家族と共にいると、家族以外を優先してしまっていました。
2週間目には、英語と日本語を行ったり来たりするのがしんどい…という状態になっていました。
そんな私の息抜きに付き合ってくださったのは、当時41歳(日本人陶芸家の中で一番歳が近かった!)のお兄さん。
恋話を聞いてくれたり、散歩に付き合ってくれたり、通訳業務とまったく別の世界に連れて行ってくださったので、とても気楽な時間を過ごすことができました。
ところが、そんな私を見た父からお説教を頂きます。
折角、連れてきたのに日本人とばっかり話していてどうする。
英語の文法もちゃんとしていないし。
誰が連れてきたと思ってるんだ!!
自分の状態を上手く説明できなかった小娘小夏。
悔しいやら、自己嫌悪やら、父に反論したい気持ちやら、父に怒られた恐怖やら…
目から涙がぽろぽろ、ぽろぽろ溢れ出します。。。
あまりにも泣きじゃくって、どうしようもないので母に電話をかけました。
あらあら、お父さんと二人も大変ね。
まったく、「誰が連れてきたと思ってるんだ!!」なんて言っちゃったのね。
台湾に一緒に行ったのが楽しかったから、同じように行かなくてイライラしちゃったんでしょ。
確かに高校生の時、台湾へ行った時は日数が少なかったこともあり、父と喧嘩にもなりませんでした。
初海外でしたし、私も父を頼りにしていた。
父は私がいることで周りの人へ自分から話を振らなくてよかったので、気楽だったのでしょう。
でも、アイオワでは他の人とばっかり一緒にいて父と共に過ごす時間も多くはなかった。
もしかしたら、父は寂しかったのかも知れません。
確かに、父を放っておいて、大先生に振り回されて(いるように見てていた?)、若い男と仲良くしている(ように見てていた?)感じでした。
私にとっての駆け込み寺は父ではなかったのですね。
父にはできない自分を見せたくないこども心。。。
歳の近いお兄さんは弱音を吐きやすい存在でした。
そして、この時、私をケアしてくださった方がもう一人いました。
ショッピングしたい〜!!
と、自分がわがままを言う振りをして私をショッピングモールに連れ出してくださった女性陶芸家さん。
別の国際陶芸イベントでも通訳の人は気持ちが滅入ってたわ。
こなっちゃん、あの時の通訳さんみたいになってる!心配だわ!
ちゃんと息抜きして!!
あら、これ可愛いわ、似合うから買ってあげる♪
と、「力不足だ」と感じていた私の状態をそのまんま受け入れてくださいました。
「通訳は精神的に疲れが溜まりやすい」と言うことを教えてくださった。
そして、明るく励ましてくださいました。
実は私が大学へ入学してから母親が少しピリピリしていたのを感じていた私。
父と弟の男3人の中に残された母は話相手が減ってしまったのかも知れません。
この時、そんな相談もしてみました。
すると、
お母さんいくつ??年齢的に更年期じゃないー??
イライラしちゃう時期ってあるのよー。
と、ケロリ。
「そんなもんなのかー」と、私も安心したことを覚えています。
この頃、高校生だった弟が色々やんちゃしていて、母がイライラ怒っていて、なんか腑に落ちなかったんですよね。
私は一度も「勉強しろ」なんて言われたこと無いのに、弟は散々言われていました。
彼はスポーツが得意で友達も多くて、私はずっと羨ましかった。
それなのに、小学校の時も中学校の時も学校の先生は、
姉ちゃんはしっかりしてるのに、どうしてお前はできないんだ。
と、「成績」だけ見て、私と比べて駄目出ししてくる。
そういうのが大嫌いだった私は、母まで「お姉ちゃんはもっとやっていた」と言っているのを聞きたくなかったのです。
10km走るなら、10時間勉強している方が楽しい私。
10時間勉強するなら、10km走る方が楽しい弟。
お互いそのままで良いと私は、思っていました。(今でも思っています。)
母が弟を責める理由がわからなかったのです。
まぁ、でもそのイライラが「更年期」というやつなら仕方ないのかもしれない。
そんな風に感じることができました。
こうして、アイオワでは多くの方に支えられ、私と父も仲直りすることができました。
親以外の大人たちと触れ合うことで、小娘小夏も少し大人に近づいたのです。
そして、冒頭の父の言葉通り、親離れの一歩を踏み出しました。
帰国4ヶ月後には一人暮らしを開始。
物理的な親離れも始まりました。
西武新宿線沼袋の1Kのアパートでは、鍋パーティーを何回やったことでしょう◎
沼袋石島亭、懐かしいです…!
大学3年生になると中小企業専門のゼミへ。
ゼミの代表にもなり、さらにはゼミの代表で構成される経済学部ゼミナール委員会の副委員長にもなりました。
就活でも、どんどん飲み友達を増やして楽しんでいました。
ところが、世界を広げ過ぎて就職活動は迷走。。。
モヤモヤMAXな社会人生活が始まります。
【年末年始ブログ特集“小夏の生い立ち”全11話】
明日は第8話を公開予定です。
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第6話 強く!聡く!美(うるわ)しく!一匹狼女の群れの中で♪(16-18歳)*後編*
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第10話 人生に必要なことはみんなお店が教えてくれた(29-30歳)
*タイトルは予告なく変更する場合がございます。
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