石島小夏のカラフルノート

カラフルノートで“思考”を可視化して、自分と向き合う&相手に伝える…!

心を震撼させる音色

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“つなぐ、拡げる”

 

病気の方からやってきて繋がろうとしている

病気とコミュニケーションを取るようになった

 

私たちが現実と言っているものは氷山の一角

実際はもっと果てしなくて、いろんなものを動かしている

 

病気を自分の持っているものとして所有しない

自分から離して見てみる

この世の中は本当に輝いていて光があるもので、でも私たちが見てるときは闇だったりするんだけど、うんと遠くまで自分がなくなるほどに飛んでいきたい


時間や空間は存在しない
人間が概念として作ったもので本当は何にもない

 

(2018年5月22日 松下佳代子さんのお話より)

 

昨日は、東京女子医大の講演会にお邪魔してドイツで活躍されている松下佳代子さんのピアノを聴いてきました。

佳代子さんは病気と共に生きながら、ピアノ演奏を続けられている力強く、そしてとてもチャーミングな素敵な女性。

お話されている際の笑顔が年下の私から見ても可愛らしくて、思わずこちらも笑みがこぼれてしまうのです。

 

 

「力がなくてマイクのスイッチが(うまく切れない)…」とおっしゃった次の瞬間、ピアノを前にして、圧倒的な音色を奏でられる。

佳代子さんのピアノの音を聴くにはとてもエネルギーがいります。

 

とてもじゃないけど、ぼーっとたゆたうなんてことはできない。

心の粘膜が剥がされ、裸にされた状態で、深いところにどしん…!!と入ってくる。

 

自分の中の目を背けたい感情も、汚い姿もすべて晒される。

その上で、ぎゅっと強く抱きしめられる。

いろんな感情が沸き起こり、涙が止まらなくなる…。。。

 昨日も、ボロボロ泣きながら、演奏と向き合わせて頂きました。

 

 

ピアノを弾いている瞬間が佳代子さんの最大出力。

日常生活では、まだふらつかれることもあるそうです。

 

 

叔父の高校の同級生でいらっしゃる松下佳代子さん。

実は、私はご本人よりも先に夫のトーマス・ベックマンさん(世界的なチェリスト…!)にお会いしたのです。

2003年か2004年で私が大学1-2年生の頃でした。
「来日公演されるベックマンさんと築地でお寿司を食べるから、英語のコミュニケーションのお手伝いをして欲しい」と、叔父に頼まれて夕食をご一緒したのです。
その時、ベックマンさんがこうおっしゃっていました。

これは訳さないで欲しいんだけど、
妻の具合は実はあまり良くないんだ。
ふわふわと船に乗って揺らいでいるような感じ。

1995年に交通事故に遭われて九死に一生を得た佳代子さん。
その後も演奏活動を続けられていましたが、2004年より車椅子生活を余儀なくされたそうです。
今、振り返ると当時は、体調ががくんと悪くなられた時だったのですね。


闘病の末、再びピアノと向き合われた佳代子さん。

私が初めてお会いしたのは、2012年の11月11日、東京でのコンサートでした。

その時のお話がとても心に残っています。

 

ピアノを弾いていると、(病気から)元気になったねと言われるんです。

でも、それは違う。

 

私たち病気の人間は皆様と持っている電池の量が違うんです。

みなさんが単一電池で生きているとしたら、私の電池は単四電池。

 

その少ない電池をどこに使うか、一生懸命考えている。

私はその電池のほとんどをピアノを弾くときに使っている。

 

だから、どうか一面だけを見て「元気になったね」なんて思わないでで欲しい。

 

(6年前の話なので、表現はご本人のものとだいぶ異なるかもしれません。)

 

 

この時、私が想いを馳せたのは母のこと。

闘病中の母は、私の目には元気に見えました。

時折、東京から栃木へ帰るといつも温かく迎えてくれた。

 

でも、この話を聞いて気付いてしまったのです。

元気だった母は、母の電池を私と向き合う時に使ってくれていたのだと。

 

私は母の口から死を予期する言葉を聞きたくなかった。

母はそんな私に気づいて、元気になってくれていたのかもしれない。

もしくは、ただ単純に娘が家に帰ってきてくれて嬉しかったのかも知れない。

 

 

2012年は、母が他界して1年半ほど。

当時は、“もっとああすればよかった!”という後悔の念で涙がボロボロこぼれました。

母に少ない電池を使わせてしまった自分を責めました。

 

 

でも、今回、全身の力を集中させてピアノに向き合う佳代子さんの姿を見ていたら、別の感情が湧き起こりました。

 

母が私に元気な姿を見せてくれていたのは、母の愛情だったのだ…!

その愛を素直に感謝して受け取ろう。

 

そんな気持ちになったのです。

 

 

もしかしたら、私が母になったから芽生えた感情かも知れません。

病気の人だけでなく、多くの人には電池の容量が小さくなることがある。

妊娠出産を通して、改めて身体からその感覚を得た気がします。

 

まさに、音楽は言葉を飛び越えて、心に響く…!!

 

最後に佳代子さんはこんなことをおっしゃっていました。

 

守破離

守 先人たちの歴史、型を学ぶ
破 形通りやるのではなく、応用して自分のものにしていく
離 自分が築きあげた形さえも破り、限界まで広げていく
自分がなくなることで自由になる

 

 

自分がなくなることで自由になる…!!