お金で引く人間関係の境界線と「信頼」や「優しさ」
ここ最近、いろんなものの境界線について考えております。
境界線はまっすぐに引かれているものではなくて、
時と場合によっても変わっていくし、
自分の状態や相手の状態によっても変わる。
常に“くっきり”と見えているわけでもない。
でも、一つ一つ向き合っていると、ぼんやりと輪郭が見えてくる。
何度も挑戦していると、少しずつ見極められる精度が上がる。
そんなものなのかなーと感じています。
以前、「悟り」を開くのは、死ぬ間際の一瞬に見えるか見えないかみたいなお話をお伺いしたことがありました。
この境界線も、そう言ったものなのかなーと感じております。
で、今日はお金で引く人間関係の境界線のお話。
人と人の関係性において、境界を引くのはとても難しい。
家族との関係ですら、というか家族は近いからこそ、余計に難しい。
誰かに助けを求めるのが難しいのも、
この境界線がうまく掴めないから、ということも私は多いです。
だから、
「世の中にはお金を使って、定義された境界線を買うことができる商品・サービスがあるのかも知れないなー」
ということを、こちらの記事を拝見して、考えておりました。
先日、こちらの記事を読んで、タイトルの「契約パパ」という表現にモヤモヤしたのですよね。
契約=お金でパパを買うみたいな印象で、あまり気分が良くない。
でも、記事の本文をちゃんと読んだり、HPを紐解いたりしてみると、
こちらで紹介されているサービスはもともとシングルマザー向けに始まったものだったり、単なる男性のベビーシッターだったりするようです。
家の中で閉じずに外の力を臨機応変に借りることは、私は大賛成です。
ところが、契約パパという文字を目にした時、「契約」=お金で人の役割を買う=冷たいというイメージを、一瞬、私は持ってしまったのです。
お金が介在しても、人間同士の付き合いですし、
愛情持って接したくださる方に出会うと、
下手な家族より親身になってくださることも多いのですけどね。
そして、
「むしろ適度な距離感を取りたくて、
お金で境界線を引いていることもあるかも知れないなー」
と思ったのです。
家族に家事をお願いすると、
家事のみならず私生活に口を出されたり、
家事のやり方を変えられたり、
不要なものを買ってきたり、
ついでに世間話や愚痴を聞かされたり…
そこまで向き合っている力がない!!って、時もありますもんね。。。
私は、相手に向き合うエネルギーがある時は、向き合った方がいいと思う派です。
面倒なことを避けていては、手に入らない関係もある。
でも、日々の生活で精一杯な時に、無理に負荷を増やす必要もない。
だから、お金を使って、ちょうど良い境界に線を引く。
まさに私が営んでいるコーチ業もその一つかも知れません。
クライアントさんが私にお金を支払ってくださることで、
「心の内側まで入ってきてもいいですよ」と、許可を下さっているような感じ。
特に、友人からご依頼を受ける際は、その意味が強いのかも知れません。
普段だって話すことはできるし、求められれば私の意見を伝えることもあります。
恋愛相談とか、家族の悩みとか、LINEで聴くこともしばしば。
それでも、そんな私に「お金を払ってくださる」という行為には、やっぱり意味がある。
友達付き合いの中の会話とセッションでの対話では心の見つめ方の質が、全く違うのです。
カラフルノートがその場にあるということも、あるかも知れません。
でも、お金という目に見える物差しの力で、距離感が見えやすくなる効果があるのかと思います。
で、これ、お金が介在しているから「信頼」とか「優しさ」がないわけではないのですよね。
お金を払っている側が優位に立つわけでも無い。
お金が介在していても、いなくても、幸せな人間関係は結べるし、逆に冷たい関係になることもある。
うまく使っていったら良いのだろうなーと思ったのです。
目に見えないものに境界線を引くのはすごく難しくて、
意識しているにせよ、していないにせよ、訓練が必要になってくる。
だから、お金を使って、その距離感を見極めていく練習をしたら良いのかもしれない。
個人事業主を開業してから、お金の交換も物々交換や人間関係の中でのやり取りに近い気がしております。
結局、自分や相手と向き合うことからは、(良い意味で)逃げられないのかも知れません。
そういえば、「100億円あったら何したい?」という問いかけの答えは「今からすぐにできること」だったりするのですよね。
お金が介しても、介さなくても、できることも、結べる関係性もあまり変わらなのかもなぁ。
そんなことを考えていたら、タイムリーにこんなnoteを読みました。
お金のない世界のお話。
お金があっても、なくても同じように行動できる人が増えたら、
お金がない世界と同じことになるのかも知れません。
私はお買い物もやっぱり好きですし、
現代社会で生きていく上では、お金もとっても大切だけど、
お金があってもなくても、同じ意思決定ができる自分で在りたい。
そんなことを考えながら、今日も今日とて境界線を見極めて生きるのです。