対等であるということ
今日買った本をさくさく読み切ってしまった石島小夏です。
後でもう少しゆっくり読みたい素敵な本でした◎
この本は男女問わず多くの方に読んで欲しい。
しばらく、人様への出産祝いはこれにしようと感じたのでした。
読んでいくうちに、
“自分はフェミニストだったんだな…!”
と気付きました。
フェミニストって聞くと、女性の権利を声高に求めるという印象を持ってしまうことがあるけれど、
女性の優位性を勝ち取る活動ではなく、
対等な立場を求める方々の事を言うのですよね。
あ、でも私の場合は男性に対する逆差別にも敏感なのですよね。
男性保育士への批判とか、主夫に対する女性からの抵抗とか、子育ての現場から男性を排除しようとする動きとか、そういうのも嫌だ!!
男性向けの逆差別をやめようという方々はマスキュリニストとかになるのかな…??
(軽く調べてみたらマスキュリズムは以前は男性優位論者を指していたけど、最近では男性に対する性差別解放を求める人を指しているみたいですね。時と場合によって解釈が違いそうで使うの怖い言葉だなぁ。)
いずれにせよ!!
生まれた性別で、決めつけられるのは嫌だ!!
でも、だからといって権利を持っている(ように見える)相手と闘うのも嫌だ!!
女性のくせに〇〇なんて…
〇〇→野心家、目立つ、前に出る
というような言い回しで、男女を入れ替えると不自然に感じるのは“おかしい”ように、
男性のくせに〇〇なんて…
〇〇→家にいる、家事する、よく泣く
というような言い回しで、男女を入れ替えると不自然に感じるのも“おかしい”のである。
そして、これは大人とこどもとか、若者と年配者とか、青年と老人とか、そういったカテゴリーでも言える事なのかも知れないなぁ。
立場を入れ替えたら批判されるなんて、やっぱり変だ…!
立場を入れ替えても批判されない、自然に受け入れられる対等な関係。
そんな関係を、今日もこつこつ私は増やして生きております。