石島小夏のカラフルノート

カラフルノートで“思考”を可視化して、自分と向き合う&相手に伝える…!

人が産まれる時と死ぬ時は似ている

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昨日の朝、友人の訃報を受けてどうにもこうにも夜はよく眠れませんでした。
彼女の御冥福を心よりお祈りしております。


娘が産まれる時に、布おむつやチャイルドシート、お洋服一式をおさがりでどっさり頂き、娘ちゃんは彼女のお陰で産まれた瞬間に着る服があり、オムツがあり、退院する時に車に乗る事ができたと言ってもいいくらい。
ちょうど、彼女から「第二子を妊娠中で準備をしている」と連絡を受けて、布オムツカバーのおさがり返しについてやり取りしていた矢先の出来事。


あんなにお世話になったのに、彼女に娘を会わせることは叶いませんでした。
関西まで友人達を訪ねて来ているのに、関東に住む彼女になんでもっと早く会いに行かなかったのだろう…と悔やんでも悔やみきれません。
だからこそ、今回の旅で関西で会う人たちと過ごす一時はより尊く、そして愛しいものとなっています。


ちょっと、今日のブログはまとまりつかずに吐き出す感じになってしまうのですがご容赦ください。
いい時も悪い時もありのままに伝えることを心掛けているので、今日のまとまらない想いも記しておきますね。
余りにも呆然として、人が産まれる時と死ぬ時って似ているなぁ、なんてことを漠然と感じました。


人が産まれる時と死ぬ時って、なんだか周りの家族も生と死の間にいるような気がするのです。
新しい命には希望があるし、命の終わりの死と似ているなんて変かもしれないけれど、ぶっちゃけ産後一か月なんて生きた心地がしないのです。
というか必死過ぎてよく覚えていない。
その瞬間を生きていたはずなのに、走馬灯のような記憶しか残っていなくてなんだか摑みどころがない感じ。

表現は悪いのですが、酔っ払ってフラフラになっている中、必死で意識を保とうとしている感覚に近い。
意識と無意識の間を彷徨っていて、意識をしっかり持たないと涙が溢れそうになったり、イライラうぎゃーっと爆発しそうになったり、もうとにかく寝たかったり、そんな感じ。


私は母が他界した時もそんな感じだった。
当時の私を見て、母の友人であり、幼馴染のお母さんでもある私を小さい頃から見守ってくれていた方が、

「こなっちゃんはしっかりし過ぎていて心配」

と、言ってくれていましたがしっかりすることで、冷静でいることで、自分を守っていたんだと思います。
実家へ向かう新幹線の中で、母の訃報を受け取ったのですが、その瞬間に職場へ連絡して休みの段取りをお願いし、親友へも伝えて葬儀の時は側にいて欲しいとお願いし、自分が崩れ落ちた時の受け皿まで用意していた私。
その時はそんな自分を冷静過ぎて嫌だなぁ…、こんな時まで段取り考えるなんて冷たい人間なのかも…なんて上手に受け止められなかったのですが、目の前のことを一つずつ積み上げて出来る限りの手を打つことで自分の意識を保っていただけなんですよね。
やっぱり、意識と無意識の間を彷徨っていた感じ。
そして、その時の記憶も走馬灯のようにしか思い出せない。


死といえば、祖父が他界した時にお坊さんがしてくださったお話がとても印象に残っています。

人の死後、魂はその人の生前を覚えてくれている人の元へ宿る
その人が幸せならその魂も幸せになる
だから故人のためにも幸せな日々を送ってください


母が他界した後に、自分の中に母がたくさんいることに驚きました。
そして、父の中にはもっとたくさんの母がいました。
死んだ人でなくても、共に過ごす時間が長いとその人の魂(習慣や考え方)が乗り移ってくるんですよね。
私は母だけでなく、多くの人の影響を受けて自分が形成されて育っていっていることをすごく感じます。
そして、故人の魂も産まれてきた命(こども)も強く結びついている人が幸せだと幸せになるのかも知れない。


産まれる、生きるってことはそうした魂(自分の軸のようなもの)を作っていくってことなんだよなぁ。
死ぬってことは、そうした魂を人に託すってことなんだよなぁ。
やっぱりなんだか似ている感じがする。



あ、物理的にも人が産まれる時も死ぬ時も届け出やらなんやら事務作業がたくさん発生したり、周囲への連絡やらなんやら調整作業が出てきたり、香典やお祝いをくださった方を管理したり頂いた金額を集計したり、ごちゃごちゃと業務がたくさんあって、葬儀が終わって書類関係がひと段落するのに2週間くらいかかったり、出産後、退院して書類関係がひと段落するのにも2週間くらいかかったり、そーゆうところも似てますね。
で、その2週間くらいは家族は界王拳何倍にもして走り抜けていて生と死の狭間をゆらゆらしながら疲れ果てているので、そろそろ元気玉(周りの助け)が必要になってくるところも似ている。 
そして、3ヶ月くらいは気持ちが落ち着かず靄がかかったような状態で、そこから少しずつ日常を取り戻していく。
そこもなんだか似ている。


うん、とりとめもないけれどやっぱり人が産まれる時と死ぬ時は似ている
そして、大好きな人たちと素敵な時を過ごす今回の旅も、日々の夫時娘との時間も全力で実現させておいて良かったなぁ◎
明日はまた新しい命へ会いに行くことができる。