「結婚式が黒歴史」という幸せ
娘ちゃん2歳3ヶ月。
おかぁさん、けっこんしき たのしかった?
むすめちゃん Gさんと おもちゃやさん いったのー
Kさんと おひめさま(アナ雪) みたのー
ありの〜ままの〜♪
友人の結婚式に夫婦でお呼ばれしている間、娘ちゃんはお留守番を楽しんでくれていたようです◎
第二の両親のようなお二人に娘ちゃんを見ていて貰えたので、私も夫くんも心置きなく結婚披露宴&恵比寿のクリスマスイルミネーションを堪能することができました♪
私にとって自分の結婚式は黒歴史。
できることなら、「花嫁の手紙」をやり直したい!!
当時、自分のことで精一杯で、夫くんの家族への感謝を手紙に込めることができなかった私…。
新婦が心からの愛を込めて、新郎の家族へ感謝を伝えている姿を見ると、未熟だった自分を思い出すのです。
私が32年の短い人生で一番しんどかったのが結婚式(というか、その準備期間)でした。
それは、ちょうど母が他界してからの半年間。
夫くんが一番激務だった時期でもありました。
夫くんがいつ帰ってくるかわからない家で一人、母を思い出して泣く夜は哀しかった。
母の他界後、日に日に弱っていく祖母(母の母)が心配で、可能な限り茨城の祖母の家に顔を見せに行った。
父のことも心配で、月に1回は栃木に帰るようにしていた。
そんな中で二人分の家事をするのもしんどかった。
でも、一番辛かったのは激務な夫くんの少ない家族時間をお義母さんと取り合ってしまったこと。
正確には、私がお義母さんと夫くんが向き合う時間を奪ってしまっていました。
夫くんに時間がないから、結婚式に関するお義母さんとのやりとりを私が代わりにやってしまうことで、失っていたものは大きかったと思います。
当時の私には、一人息子が離れていくお義母さんの寂しさに寄り添うだけの余裕がありませんでした。
寂しさから、夫くんに対して「全然、実家に帰って来ない」などと弱音を吐いていたお義母さんの言葉は、私の心にはとても鋭い刃として突き刺さった。
私は母にちゃんと親孝行ができたのだろうか。
母ももっと実家に帰ってきて欲しかったんじゃないか。
たくさん手紙をくれたのに、滅多に返事を書かなかったなぁ。
そういう母に対する後悔が溢れ出てきて、お義母さんと向き合うのがとっても辛くなってしまっていました。
何度も何度も「結婚するのやめようかな」と考えました。
それでも結婚できたのは、友人たちが素敵な言葉をかけてくれたから。
夫くんとお義母さんの話は夫くんに頑張ってもらわなきゃダメだよ!!
いくら仕事が忙しくて、向き合うのが面倒だからってそこは小夏に甘えていいところじゃない。
もうちょっと、夫くんに頑張ってもらいな。
小夏はロボットじゃないんだから、そんなに全部自分でやろうとしないの!!
おばぁちゃんの事はおばぁちゃんの息子さん(伯父)に任せればいいの!!
小夏はまず、自分と夫くんのこと、余裕があったらお父さんのことを考えればいいの。
父本人も「親のことはいいから、自分たちの幸せを考えるように」と言ってくれて、お陰で結婚する決心が固まりました。
とりあえず、私は「自分たちのこと」に集中することにしたのです。
だから、私は花嫁の手紙に自分たちのことしか書けなかったのです。
夫くんの家族に対する感謝の気持ちが抜け落ちてしまっていた。
当時の私は結婚式を挙げることだけで精一杯だった。
それでも、両家の親族の皆様も喜んでくださり、とてもあたたかい空気がその場には流れていました。
そして、結婚してからどんどん家族になっていくことができていて、あの時、頑張って結婚式を挙げて本当に良かったと、今は感じています。
夫くんの親族の皆様はこんな私を温かく迎えいれてくださり、本当に感謝しています。
「結婚式の花嫁の手紙は納得いかなかったよ」
と、お義母さんの妹さんが腹を割って伝えてくださった。
「あの時のこなっちゃんにそんな余裕無かったんでしょ」
と、それを聞いたもう一人の妹さんが私の状況を察してくださった。
お気持ちを慮ることのできなった当時の自分の未熟さをお詫びして、感謝を伝える手紙を改めてお義母さんにお送りしたら、「嬉しい」と喜んでくださった。
今、こうして夫くんの家族や親族の皆様に心から感謝しているので、
その気持ちを一生に一度の結婚式の場でちゃんんとお伝えしたかった!!
と、両家の愛情に包まれた素敵な結婚式の場にいると、どーしても思ってしまうのです。
うん、でも「結婚式が黒歴史」だと思うのは、今が明るいからで、それはとっても幸せなことなんだろうなぁ◎
家族には「なっていくもの」だと、つくづく感じます。