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石島小夏のおうちごと♪

夫と娘と「おうちを描いて共に育む♪」日々を徒然なるままに◎

私の原点へ還る…!

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6年前の今日。

翌日が休みだった私は、勤務後に益子へ帰る予定でした。

 

「お客様も少ないし、早く上がって大丈夫ですよ」

 

という声をかけて頂いていたのに、生真面目に定時まで働いていた私。

仕事が終わって、携帯を目にしたら父から着信の嵐。。。

 

 

「もうダメかもしれない」

 

そんな報せを受けて、新幹線を使って栃木に戻りました。

1時間に1本しかないバスじゃ間に合わないかも…と、地元の友人になりふり構わず「迎えに来れない?」と、連絡しながら帰宅ラッシュで座ることもできずにいました。

その中で訃報を受けました。

 

新幹線のデッキの中で泣きながら親友に電話。

落ち着きを取り戻した私は、上司に一報を入れました。 

 

宇都宮駅に着くと、幼馴染が仕事後に迎えに来てくれました。

幼稚園の頃から一緒で母のこともよく知る幼馴染が、家まで40分ちょっとの道を共に過ごしてくれました。

報せを受けた彼氏くん(今の夫くん)からも電話がかかってきました。

 

家に着くと、父も弟たちも揃っていて、母が希望していた斎場の担当者の方がドライアイスを入れてくれていて、

 

「(東日本大震災で)天井が崩れているので式が行えません」

 

と、お話されていました。

被災された方々のご遺体を栃木でも天に召していたので、火葬場の予約もなかなか取れなくて、告別式は10日になりました。

 

そんな細かい事は覚えているのに、母と対面した時のことが全く思い出せません。

翌日、母に化粧をしてあげて、毎日、お化粧直ししていたはずなのに、母の顔はほとんど思い出させないのです。

 

夜、家族で献杯して眠りにつきました。

疲れているけれど、眠れるわけもなく、父と共に泣きました。

父と同じ布団で寝たのは何年振りだったでしょう。

 

おばぁちゃんのことも心配になりました。

それからの数日間、とーっても多くの人々が母に会いに来てくれました。

お茶を出しながら、何度も何度も母の最期を話す父の声を聞く日々でした。

 

幼馴染たちも来てくれて、益子で過ごした日々を思い出しました。

私の益子での18年間は父と母と共に過ごした18年間だったと、昔のことが走馬灯のように頭に駆け巡りました。

 

そして、父と母が益子で過ごした30年間に想いを馳せました。

二人とも外から益子へやって来た人たちだったけど、この土地でしっかりと生きてきたんだな〜そんなことを感じました。

 

母を大切に想ってくださる方々が、父や弟たちや私のこともたくさん思い遣ってくださいました。

気が緩むと涙がぼろぼろ出てくるような張り詰めた状態。

 

そんな中でも、明るく楽しい告別式にしようと多くの人が力を貸してくださり、私はとても救われました。

告別式の日は幼馴染のご一家と彼氏くん(今の夫くん)と親友が一日中、見守ってくれました。

 

東京へ戻ったとき、私が一人で辛くないように彼氏くん(今の夫くん)は毎晩我が家に来てくれました。

今と違って超絶激務で、朝になることもありましたが、それでも必ず顔を見に来てくれました。

その時、この人となら父や母と同じように「一生一緒に生きていける」と強く感じました。

 

 

父や母を想う人たちが、私や弟たちを想ってくださるように、私や夫くんを大切に想う方々が娘ちゃんも見守ってくださる。

そう信じることができるから、一人で抱え込まずにやっていけているのだと思います。

 

 

そして、私に手を差し伸べてくださった方々がいらっしゃるように、私も誰かに手を差し伸べられる人でありたい。

その強い想いは、6年前の今日、生まれたものかも知れません。