訪れたところがふるさと♪
娘ちゃん2歳9ヶ月。
でんしゃに のって かまいし いこうねー
くまもとで おうまさんに のって おんせん はいったんだよー
ふゆに なったら さっぽろ また いきたいのー
おおさかで たいようのとう みたねー
すっかり日本全国飛び回る2歳児です(笑)
我が娘ながらよく覚えているなぁ!!
あなたのふるさとはどこですか?
私にとっては生まれ育った益子町は大切なふるさと。
そして、この15年身を置いている東京も大切なふるさと。
でも、どちらも「根をおろす」という感覚には不思議とならないのです。
両親が東京出身で益子では、今風に言えば移住者の娘だった私。
親戚が近所にいる友人たちが羨ましくもありました。
益子は陶芸をやりに外から入ってくる方も多く、村八分的なものはなかったんですけどね。
母に言葉を正された(栃木弁になると直されていました)こともあり、なんとなく自分が浮いている(と、勝手に)感じてしまっていた時期があります。
東京も私の大切な場所。
両親が生まれ育った地だし、今は私の大好きな人がたくさん暮らしている場所。
でも時々、眩しくてクラクラすることがる。
「多様な選択肢がありことが当たり前」の中で育った人の言葉が、選択肢に手が届かない場所にいた頃の自分に突き刺さってくることがある。
ふと、在日朝鮮人の知り合いがこんなことを言っていたことを思い出しました。
日本人の中にいると「 自分は朝鮮人だ!」って思うけど、
朝鮮人の中にいると「自分は日本人だ!」って思う。
スケールは違うけど、似た感じなのかも知れないなぁ。
ふるさとは作るものだ!って釜石に移住して活動されている方がおっしゃったんですよ。
昨日、友人の言葉を聞いて、私はこんな返事をしていました。
あー、私は訪れた場所、全部がふるさとかも知れない!!
熊本も札幌も大阪もタンザニアもアイオワもプーケットも、一度訪れた場所には「また帰りたいなー」と感じる。
どこに行っても「あ、ここに住みたいなー」と自分が暮らしているイメージが湧いてくる♪
そして、そこに住む人々が生み出しているものを美しいと感じる。
それは外から来ているから、より尊く見えるのかも知れない。
あ、でも世界規模で言えばやっぱり日本がふるさとかなぁ。
だって、ご飯が美味しいんですもの!!