【小夏の生い立ち】第3話 集団社会と保健室(7-9歳)
気持ち悪い!! 頭痛い!!
晴れて小学生になった小夏ちゃん。
私のクラスは男子15人、女子7人の22人。
幼稚園組19人、保育園組3人。
学年1クラスで全校生徒100人ほどの小さな学校で6年間を過ごします。
話は逸れますが、幼稚園のクラスは33人でした。
33人から22人になるなーなんて事を発見して、楽しくなったことを覚えています。
小さい頃から、そう言った“つながり”とか“法則”を探すのが好きだったんですね。
幼稚園は地域別にクラス分けされていたので、幼稚園組はみんな顔見知り。
そして、小学校の同期生は全員、同じ中学校へ進学。
つまり、幼稚園・小・中が一緒の友人が18人も!!
学校生活に関しては、良くも悪くも選択肢の無い狭い世界でした。
そして、小学校1-2年の時はとても息苦しかったことを覚えています。
私が通っていた小学校は人数が少ないからか、1-6年生まで学年1人ずつで6人組を作り、毎日の掃除や学校行事(学期に1回のお誕生会、山登り遠足、芋の苗植え・芋掘り・芋煮会など)に取り組んでいました。
そこの上級生達も優しくて、お兄ちゃんやお姉ちゃんが出来たようで嬉しかったです。
朝の登校も通学班のようなものがあり、高学年の子達が下の子を面倒見てくれる。
鳥を見に行く探鳥会などもあったし、芋煮会や運動会では地域のお年寄りをご招待したり、と豊かな自然と地域の人間関係を大切にした良い学校でした。
でも、どうして私は息苦しかったのか…?
担任の先生がめちゃくちゃ怖かったのです。
幼稚園の時とは違い、小学校の先生は怒鳴る!怒る!!
忘れ物を取りに、ベランダから家に帰ったのは忘れられません。
怒られた怖さと、小学生がこんな時間に外を歩いているなんて「いけないことをしている」という自責の念と。。。
家に帰ったら、両親が先生のやり方に反対して、「学校に戻らなくていい」と言ってくれたのですが、それも「いけないこと」のような気がして学校に戻りました。
さらに事態を悪化させたのは、私が先生に(恐らく)気に入られていたということ。
学校の勉強は実際できたので、そこは仕方ないのですが、「できる扱い」を受けるのが、当時は嫌だったのですね。
教科書をスラスラ読めるのがいたたまれなくて、家でつっかえながら読む練習をしていました。
…なんというか、頑張る方向間違っている…!!と今なら思います。
でも、当時はかなり真剣だったのです。
我ながら、いじらしい努力…!!
さらに、運動まで「できる」ことにされてリレーの選手になってしまったのが物凄く辛かった。。。
「この子は足速いから」と他の人たちに言われて、「いや、もっと速い子いるし。。。」って、強く感じたことを覚えています。
なにせ、矛盾嫌いの子でしたから。
そうした日々を送るうちに私は体調不良を訴えるようになります。
「気持ち悪い!!頭痛い!!」と保健室へ逃げ込む日々。
実際に微熱が続いていて、時々、学校を休んでいました。
だんだんと周囲の子達から、
サボりだー!
仮病じゃないの??
と、言われるようになってきます。
すると、自分からは「保健室に行きたい」と、言い出しにくくなる。
でも、やっぱり気持ち悪いし、頭は痛い。。。
誰かに気付いて欲しくて、必死に具合悪そうにしてみる(いや、実際に体調悪かったんですけどね)。
けど、アピールする自分はなんだか嘘を付いているようで苦しい。
実は当時、両親が校長先生に呼び出されていたようです。
なんか色々言われたようですが、
娘が休みたいって行ったら休ませますんで、大丈夫です。
と、帰ってきたそうです。
ここは推測ですが、当時の校長先生的には、授業に出ずに保健室にたびたび通うなんて由々しき事態だったのでしょうね。
両親的には、「そんなに問題無い」と感じてくれていたようで、
休みたかったら、休んでいいんだよ
と言う言葉をくれました。
ですが、休む=サボりとすでに刷り込まれていた私は無理にでも学校へ通いました。
この頃から、「休んじゃいけない」呪縛にかかっていたのですね。
そして、それは親が「休んでもいい」と言ってくれてもなかなか簡単には解けるものではない。。。
だからこそ、私は娘ちゃんが「休みたい」と自分の意志を伝えてくれると嬉しいし、なるべく希望に沿いたいと思うのです。
そして、学校も全てが息苦しかったわけでもないのです。
学習発表会では7匹の子ヤギの7番目の子ヤギに立候補して、7番目の子ヤギ役をやりました。
物語を覚えたり、その世界の住人になれるのが大好きで、セリフが多い役が好きだったのです。
そういう自分がやりたいことは立候補できたのです。
そうこうしているうちに、小学校3年生となり、担任の先生が変わり、体調不良もなくなります。
産休中の先生の代わりでいらっしゃった臨時の先生。
新卒くらいだったのかな…若くて可愛い先生でした。
身近なお姉さんのような雰囲気で、憧れもしました。
当時、Jリーグが始まった頃で、先生が「アントラーズファンだ」って言ったら、「私も!!」ってなっちゃう感じ。
この頃は学校が楽しかった気がします。
小学校1-2年生の担任の先生は、私にはちょっと厳し過ぎたのですね。
加えて、新しい環境で、勉強も始まるし…といった変化に対応するのに2年もかかってしまいました。
小学生の頃は、まだ自分の気質や体質を掴めていなかったのだなぁ…。
そして、そして!!
小学校2年生の6月に二人目の弟が産まれたのでした。(ブログを読んだ友人に突っ込まれて書き足します…笑)
小学校1〜2年生の時は母の妊娠・出産で気持ちが落ち着かなかったのかも知れませんね。
赤ちゃん還り…!
弟が生まれる日は、父が地域のソフトボール大会に出ていて昼間はみんなで応援に行ったのです。
その夜、陣痛が来て…父が病院に送っていきました。
その後は毎日、病院へ赤ちゃんに会いに行ったことを覚えています。
が、母の退院後は全く覚えていません。
産後の我が家の様子、少しは心の中に残っているのかしら??
娘は第一子なのですが、「扱い方が第二子みたいだねー」と言われるのは弟が8歳下だからかも知れません。
さて、小学校後半では部活が始まりますよー、私は何部だったのでしょう??
また、学級委員や児童会役員など色々と活動する中で少しずつ石島小夏が出来上がっていきます◎
乞うご期待!!
【年末年始ブログ特集“小夏の生い立ち”全11話】
明日は第4話を公開予定です。
第1話 陶芸の町で育まれた長女気質 (0-3歳)
第2話 涙を堪えて村社会デビュー☆(4-6歳)
第3話 集団社会と保健室(7-9歳)←★今日ここ★
第4話 ロン毛の父が嫌だった!!(10-12歳)
第5話 アートな幼馴染達と自分を比べて…(13-15歳)
第6話 強く!聡く!美(うるわ)しく!一匹狼女の群れの中で♪(16-18歳)
第7話 好奇心旺盛で寂しがり屋の小娘、家を出る(19-22歳)
第8話 メラメラと青い炎が燃えている…!(23歳-25歳)
第9話 ザ・パートナーシップへの道(26歳-28歳)
第10話 人生に必要なことはみんなお店が教えてくれた(29-30歳)
第11話 私のカラフル魂を娘が呼び覚した!(31-33歳)
*タイトルは予告なく変更する場合がございます。
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